ついに開局40周年!
無線通信業務
2021年1月14日(木)
今日は「とっとりU42」の開局記念日。開局40周年です。
無線を通じて、毎年少しずつ新たな出会いがあります。
もちろん、人生は無線だけではありません。
無線活動を通じて、人生の「潤い」をもらっている...
云わば「潤滑剤」のようなものです。
一部は過去に書いた記事からの抜粋ですが、40年前を振り返ります。

【免許申請】
その前年(1980年)の年末からお正月にかけて大寒波が襲来。
時は昭和56年。「56豪雪」と呼ばれるほどの大雪が降りました。
12月30日、大雪が降り積もる中、地元の郵便局へ。
収入印紙を買いに行き、無線局免許申請をしました。当時の申請料は4000円。
少し前までは2300円だったということで、物価上昇が際立った時代の印象。
高校(高専)1年生にとっては決して安い金額ではありませんでした。
免許の日は1月14日でしたが、自宅に証票・免許状が届いたのは1月31日。
申請から免許到着まで、1ヶ月ほど要したことになります。
【1st-QSO】
免許を受けた当初、周囲に交信相手は殆どいませんでした。
初めての交信は「しまねAE97局」。松江市の局でした。
当時、市民ラジオは中高生に流行していましたが、しまねAE97局は私の父親くらいの年齢の方でした。
中海を挟んでの海上伝搬。対岸からの信号は強力でした。
交信できたときはとても嬉しかったです。
QSLカードを交換しましたが、残念ながら行方不明。
捨ててはいないはずなのですが・・・
【1981年1月当時流行していた歌謡曲】
印象に残っているのが、
・「街が泣いてた」(伊丹哲也 & Side By Side)
・「恋人よ」(五輪真弓)
・「愛はかげろう」(雅夢)
どうも寂しげな曲が多いようです(汗)。
これらの曲を聴くと、開局当時を思い出します。
さらに、範囲を1981年にリリースされた曲に広げると・・・
・「春咲小紅」(矢野顕子)
・「まちぶせ」(石川ひとみ)
・「夏の扉」(松田聖子)
・「ロンリー・ハート(Lonely Hearts)」(クリエイション)
・「守ってあげたい」(松任谷由実)
・「ハイスクールララバイ」(イモ欽トリオ)
・「少女人形」(伊藤つかさ)
・「風立ちぬ」(松田聖子)
・「悪女」(中島みゆき)
・「完全無欠のロックンローラー」(アラジン)
などが挙げられます。
ここで、特別企画「開局40周年記念クイズ!」
上記10曲のうち、私が保有しているシングルレコードが2枚あります。
その2枚はどれでしょう?
3名様に開局40周年スペシャルQSLカードを差し上げます。
ご応募はコメントにてお願いします。応募者多数の場合は抽選。
ただし、応募資格は過去に市民ラジオで交信実績のある方に限ります。

この写真は大ヒントですよ!
それにしても、途中に数年の休止期間がありながらも40年もの間、趣味として市民ラジオを続けるとは思いませんでした。
昭和末期の岡山県在住時代。第二級アマチュア無線技士を取得して100W局を開局、海外QSOにも注力しました。
そんな私に、市民ラジオの「おもしろさ」を説いたローカル局。
おかやまBK10局との出会いがなければ、今の私はないかもしれません。
残念ながら彼は、10年以上前に若くしてサイレント・キーとなってしまいました。今、彼がいれば、きっと岡山各局の中心的存在になっていたことでしょう。

無線という趣味は、交信相手となる無線仲間がいることで楽しめます。
無線を始めたころからのお付き合いのある方、そしてこれから出会う方。
これからも無線交信を通じての「一期一会」を大切にしたいと思います。
何卒よろしくお願いいたします。
今日は「とっとりU42」の開局記念日。開局40周年です。
無線を通じて、毎年少しずつ新たな出会いがあります。
もちろん、人生は無線だけではありません。
無線活動を通じて、人生の「潤い」をもらっている...
云わば「潤滑剤」のようなものです。
一部は過去に書いた記事からの抜粋ですが、40年前を振り返ります。

【免許申請】
その前年(1980年)の年末からお正月にかけて大寒波が襲来。
時は昭和56年。「56豪雪」と呼ばれるほどの大雪が降りました。
12月30日、大雪が降り積もる中、地元の郵便局へ。
収入印紙を買いに行き、無線局免許申請をしました。当時の申請料は4000円。
少し前までは2300円だったということで、物価上昇が際立った時代の印象。
高校(高専)1年生にとっては決して安い金額ではありませんでした。
免許の日は1月14日でしたが、自宅に証票・免許状が届いたのは1月31日。
申請から免許到着まで、1ヶ月ほど要したことになります。
【1st-QSO】
免許を受けた当初、周囲に交信相手は殆どいませんでした。
初めての交信は「しまねAE97局」。松江市の局でした。
当時、市民ラジオは中高生に流行していましたが、しまねAE97局は私の父親くらいの年齢の方でした。
中海を挟んでの海上伝搬。対岸からの信号は強力でした。
交信できたときはとても嬉しかったです。
QSLカードを交換しましたが、残念ながら行方不明。
捨ててはいないはずなのですが・・・
【1981年1月当時流行していた歌謡曲】
印象に残っているのが、
・「街が泣いてた」(伊丹哲也 & Side By Side)
・「恋人よ」(五輪真弓)
・「愛はかげろう」(雅夢)
どうも寂しげな曲が多いようです(汗)。
これらの曲を聴くと、開局当時を思い出します。
さらに、範囲を1981年にリリースされた曲に広げると・・・
・「春咲小紅」(矢野顕子)
・「まちぶせ」(石川ひとみ)
・「夏の扉」(松田聖子)
・「ロンリー・ハート(Lonely Hearts)」(クリエイション)
・「守ってあげたい」(松任谷由実)
・「ハイスクールララバイ」(イモ欽トリオ)
・「少女人形」(伊藤つかさ)
・「風立ちぬ」(松田聖子)
・「悪女」(中島みゆき)
・「完全無欠のロックンローラー」(アラジン)
などが挙げられます。
ここで、特別企画「開局40周年記念クイズ!」
上記10曲のうち、私が保有しているシングルレコードが2枚あります。
その2枚はどれでしょう?
3名様に開局40周年スペシャルQSLカードを差し上げます。
ご応募はコメントにてお願いします。応募者多数の場合は抽選。
ただし、応募資格は過去に市民ラジオで交信実績のある方に限ります。

この写真は大ヒントですよ!
それにしても、途中に数年の休止期間がありながらも40年もの間、趣味として市民ラジオを続けるとは思いませんでした。
昭和末期の岡山県在住時代。第二級アマチュア無線技士を取得して100W局を開局、海外QSOにも注力しました。
そんな私に、市民ラジオの「おもしろさ」を説いたローカル局。
おかやまBK10局との出会いがなければ、今の私はないかもしれません。
残念ながら彼は、10年以上前に若くしてサイレント・キーとなってしまいました。今、彼がいれば、きっと岡山各局の中心的存在になっていたことでしょう。

無線という趣味は、交信相手となる無線仲間がいることで楽しめます。
無線を始めたころからのお付き合いのある方、そしてこれから出会う方。
これからも無線交信を通じての「一期一会」を大切にしたいと思います。
何卒よろしくお願いいたします。
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